山神のブログ9

ヤマンピーのGスポット

新城市 森の石松の墓と生家跡

先回は静岡県周智郡森町森の石松の墓を見てきましたが
今回は愛知県新城市にあります森の石松の墓であります

それがありますのが洞雲寺 場所はこちら
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国道301号から少し入った場所にお寺があります
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はっきり申してこの洞雲寺まではナビさえあれば簡単に行けます
問題はここにあるとされる森の石松の墓
これが何も案内がありませんからほんとどこなのか?さっぱりわかりません
普通に考えればこちらの敷地左手にありますお墓
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その中にあるものだと思い探すのですが、全く見つかりません
(一応この記事を見て行ったので、そのお墓の画像とにらめっこして
探すのですが同じものがどこにもないのです)
えっ?お寺を間違えた?いやそんなことはないはず・・・
ではこことは別の場所にお墓があるのか?

誰かにそれを聞こうにも人気(ひとけ)は全くなし
仕方なしに東方向へと歩いていってみたところお墓を発見
なんだよ!こんなとこにも墓があるじゃないか!
案内ぐらい立てておけ!と文句も言いたくなります
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ちょっと真新しい墓地
ここに森の石松の墓があるとは普通は考えられない・・・
場所はこっち
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さてまたここで多くの墓の中から問題の森の石松の墓を探します
(もちろん案内板は全くなし)
それは墓地の左手奥にございました
わたくしこれを見つけるのにお寺に着いてから30分ほど要してます
(ほんとこの場所についてはどの森の石松の墓の記事にも何も書いてありません
すごくみなさん不親切ですw まるで宝探しになりますよw)
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↑これが森の石松の墓です
森町のに比べるとなんじゃこりゃ?と言う感じ・・・
はっきり言って何も書いてありませんからこれが森の石松の墓だと
言われないと全く気づきません
と言うかみすぼらしい・・・墓ではなくただの石・・・

正直新城市もこれについては積極的にアピールしていませんし
洞雲寺自体もあまり何もしていません
どこまでこれが本当なのか?ちょっと眉唾ものです・・・

大政小政とともに活躍した森の石松 は、浜松の都鳥一家のだまし討ちにあい、
文久2年 37歳で亡くなりました。
その場にいて茶畑に隠れていた腹違いの弟庄治朗が、
すきを見て首だけをもってこの寺に葬ろうと逃げてきました。
 ただ、ばくち打ちのやくざ、とんでもない暴れん坊、
村人は墓をつくることに反対したそうです。
その時、当時の住職が「どんな人間も死んだら仏」と言って許可したそうです。
ただ、戒名をつけず、墓石には文字は刻まれませんでした。

↑一応こういうことにはなっておりますが・・・

尚、ここに女優中村メイ子さん建立の両親のお墓もあります
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続けて森の石松の生家跡も見てきました
場所は洞雲寺からさほど遠くはありません こちら
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田畑の真ん中にそれはあります
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正直、立札がないとわからないような場所w

代々庄屋も務めた家柄だったが父親の代に自宅から火災を出したことが
原因で没落し、父親は幼い石松を連れて森町へ流れてきた。

ええ!ここに家があったなんて看板を見ないと全く想像出来ません
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現にウイキペディアではその森の石松の存在さえ架空なのか?とも
書かれているのですからね・・・

森町のはそれでもさも実在した感があったのですが
こちら新城市のものはアピールも少ないので怪しく思えるのでした・・・