真・山神のブログ

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蒲郡市 委空寺 ねずみ小僧治郎吉の墓

誰も興味がないかも知れないが、先回の

各務原(かかみがはら)市 神明神社 ねずみ小僧治郎吉の碑

続編である

 

その記事内でも触れたのだが

今度は愛知県蒲郡(がまごおり)市にあると言う

ねずみ小僧治郎吉の墓見て来た

そのお墓は同市内の委空寺にある

場所はこちら

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JR東海道本線 蒲郡駅のすぐ近くにそのお寺はあります

すごく込み入った場所にあるのだが専用駐車場らしきものはない

こっそり近くの蒲郡信用金庫本部の駐車場をお借りしましょうw

こちら駅近くなのだが人通りは少ないです

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目的のお墓はお寺正面、本道の裏側にひっそりとありました

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墓石は大したことはないですが、意外にしっかりと造られてました

 

江戸時代末期の1830年代、天保年間のお話。
何年かは分からないが、

当時西の郡と呼ばれていた蒲郡に江戸からひとりの老婦人が

ひっそりと帰ってきて暮らしはじめた。 35、6年ぶりのことだ。
家の裏手には、うっそうとした薮が広がっていた。 

その藪の中に、名前も戒名も書かれていない粗末な墓らしきものがある。 

と近くの住民が気づいたのは、それからしばらくたってからのことだった。
老婦人の名を、かんといった。 

ある日のこと、道でかんとすれ違った住民が尋ねた。 

「薮の中にある墓は、どなたをご供養なさっているんですか」。 

かんは一瞬、驚いた様子を見せ、顔をくもらせた。 

しばらくたって小さな声で「倅(せがれ)の」とだけ、言って立ち去った。


がまごおり風土記」(伊藤天章著)には、

文政期に江戸市中の大名屋敷に忍び込み、

天保3年に38歳で処刑された鼠小僧次郎吉は蒲都の生まれだと書かれている。 

母親のかんは、処刑のあと一握りの遺髪を手に蒲形村に帰り、

墓をつくり冥福を祈った。 

この墓が後に委空寺(神明朗町)に移されたという。
治郎吉の生家は現在の神明町。 

生後間もなく父の定七は江戸に旅立ってしまう。 

1、2年後、母のかんは、定七を追って幼い治郎吉を背負い上京した。 

お墓のいわれとともに、このような話も代々語り伝えられている。 

真実はともかく、鼠小僧は歌舞伎や小説、映画に義賊lとして描かれている。 

地元の人たちには、ちょっぴり自慢だったに違いない。

広報がまごおり(平成23年1月号) より

 

実は本当のお墓は東京両国にあるとされてます

参考ウイキペディア

そちらでは生れも日本橋人形町だったとされているのですが

こちらでは蒲郡市生まれだったとか・・・

どちらが真説なのか?は不明ですが

愛知県蒲郡市にもねずみ小僧治郎吉の墓があるのでした