前回からの続きになります
苻殿(ふどの)トンネルを抜けて見ると・・・
道がいきなり怪しくなってきまして、やや廃道に近い道となりました
もちろんこの旧道は現在は使われていませんから、それも当たり前かと・・・
と、その前にこの場所を地図でご覧ください
そしてゼンリンの地図
[http://
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どの地図を見ても旧道はこの先で行き止まりです
どれも木沢トンネルに合流する手前で道が切れてます
では実際にはどうなってたか?と言いますと・・・
はい!目の前にその様子が見えてますよね
実際、確かに地図の通りなんですが、そこには驚く風景が・・・
そう!実はこの先に大用知(おおようち)トンネルがあったのですが
見事に壁となって封鎖されていたのでした
もう!なんだこりゃ!?の世界です
一体どうなってるんだ?と考えるわたくし
この旧道には実は苻殿トンネルと大用知トンネル、ふたつあったのですが
その大用知トンネルは完全封鎖
もちろんこの反対側には穴の形跡は一切ありませんでした
この場所に来て初めて大用知トンネルの存在がわかったのです
難解不読・・・
この答えはこちら実は廃墟としても有名らしく
廃墟検索地図に詳しく出ておりました 記事こちら
2004(平成16)年7月30日から8月1日にかけての台風10号の豪雨により、
一帯で山腹崩壊が発生、符殿橋と加州谷橋や符殿トンネルが流出した。
同箇所は更なる崩壊の恐れがあるため、
災害復旧としては異例の別ルートでの復旧工事が行われることとなった。
2007(平成19)年4月27日に開通した木沢トンネルは、
既存の大用知トンネル(1993年1月竣工、延長143.0m)の一部を利用し、
洞内分岐している。
木沢トンネルの建設中、大用知隧道は資材置場として利用されているが、
現在は廃隧道となっている。
また建設途中で洞内分岐する形で利用されていた大用知トンネルは現在は使用されず、
北側坑口が封鎖された形で残っている。
これを時系列に紹介してあるのが
隧道探訪(マフ巻隧道探検隊)さんの記事
(画像もお借りしております)
大用知隧道(全3話) 平成16年(2004年)
↑これが木沢トンネルが出来る前のルート(現・旧道)
木沢トンネル(全3話) 平成18年(2006年)
貴重な洞内分岐の画像もこちらの記事で見ることが出来ます
新ルート(木沢トンネル)が新たに造られたのでした
旧道を治すよりも新たにトンネルを造った方が早いと言う斬新なアイデア
そのお陰で旧道のトンネルはもうお役御免というもの・・・
これらからわかりますように
木沢トンネル建設時に洞内分岐していた大用知トンネルは
結局用済みとなり完全封鎖となったのでした
そのお姿は現在では旧道側から行くと初めて見ることが出来るのでした
(と言っても封鎖されたお姿だけなのだが)
さてここからが本当の目的の穴へ
一番最初に見たあの穴を見に行くことに・・・
(答えは出てますが木沢隧道なんてお名前ではありませんでした)
完全封鎖の大用知トンネル脇にちゃんと旧道(正しくは旧・旧道)が
ありました
はい!こちらが当初の目的であった大用知隧道であります
ちゃんと反対側から訪れることが出来たのです
内部は素掘りの吹付加工
出口は草ボーボーでして、その先に・・・
でっかい用水路がありまして、これを越えないことには国道193号には行けません
もっとも国道側からこちらへ行くのは危険過ぎますからお勧めしませんが・・・
ちまたには明治・昭和・現在と続く3代にわたる隧道がありますが
こちらも立派な3代にわたる隧道ではないかと思います
是非徳島県を訪れた際には一度お立ち寄りください
以上
木沢トンネル+苻殿トンネル+大用知トンネル+大用知隧道
3段構えの穴でした