真・山神のブログ

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山県市 明智光秀公の墓(桔梗塚)

今回はあの織田信長本能寺の変にて討ちとった
三日天下で知られる明智光秀のお墓が
岐阜県山県(やまがた)市にあると知って訪ねて来ました

場所はこちら これを紹介の山県市HPこちら

光秀公は山崎の合戦で死んだのではなく、
実は、そのとき死んだのは影武者であり、
ひそかに郷里山県市中洞に落ち延びて荒深小五郎の名ですんでいた・・・
そんな伝説が残るのが、ここ「桔梗塚」と呼ばれる明智光秀公の墓です。
ここでは、今でも毎年供養祭が行われています。
また、近くの河原には、母が「たとえ三日でも天下をとる子を・・・」と
祈ったとされる行徳岩もあります。 
 
この場所は正直わかりにくい場所にあります
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国道256号美山第一トンネルを抜けた先の中洞地区に一旦入ります
(情報では美山第二トンネルの付近と聞いていましたが
いくらその第二トンネルの前後を探してもありませんでした・・・)
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地区に入ると案内看板がありました
看板に従い山手に、国道の下をくぐって行くと・・・
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小さな橋の先に白山神社
ここに明智光秀公の墓があるのです
(正直寂しい場所です)
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天正十年(一五八二)山崎の合戦で羽柴秀吉に討たれ死んだのは、光秀の影武者「荒木山城守行信」だとしている。光秀は荒木山城守の忠誠に深く感銘し、この事実を子孫に伝えようと荒木の「荒」と恩義を深く感じての「深」で自らを「荒深小五郎」と名乗り西洞寺の林間に庵を建てて住んでいたと言われている。その後光秀は雲水の姿となって諸国遍歴にでたが、十八年後の慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の合戦の時、東軍に味方せんと村を出発したが途中、藪川の洪水で馬と共に押し流されおぼれ死んだ為、死骸を山城守の子吉兵衛が持ち帰りこの地に埋葬したと伝えられている。
こんな寂しい場所にあるのですが
どうやら史実では全く重要視されていない感じ・・・
やはりここは単なる伝説でしかないのか?と思われます

不思議①
いくら名前を変えて郷里に住んでもすぐに怪しまれのではないのか?
(生きているとわかったら羽柴秀吉が血眼になって探すはず
郷里に住むのはいくら何でも危険すぎると思うのだが?)
不思議②
諸国遍歴に出たとあるが、ほとぼりが冷めたと勝手に判断したのか?
(これもいくら何でも危険)
不思議③
なぜに後から東軍の味方しようなどと考えたのか?
(隠れ住んでいればいいものを・・・
また功名でも立てようなどと思ったのか?)
不思議④
最後が川で溺れ死んだでは格好悪すぎですw
(これなら山崎の合戦で死んだとした方が良いw)
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神社の手前から左手に山に入りますと・・・
(一応ちゃんと周りの草は刈ってありました)
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山の中にひっそりと明智光秀公の墓がありました
これって本物なんでしょうか?

ちょっと眉唾っぽい明智光秀公の墓でした
B級ネタのお好きな人にはお勧めですw
でもさすがに行徳岩まではわたくし見には行きませんでした・・・